ネパールから「こんにちは!」 
2003年 2月20日(木曜日)
朝からばたばた人が出入りしていて騒がしい。
私はのんびりと洗濯などをして出発を待つ。
お嫁さんはカトマンドゥより遠い「トリブヴァン国立公園」の側に住んでいるんだそうだ。
ゴージャスなケーキ、ヨーグルト(巨大、デコレーション済み)、魚二匹、生きた瓶いりの小魚二匹、果物、野菜、お菓子(魚型、カエル型、ハト型、リース型などの揚げ菓子があり、とてもカワイイ)、くるみ、ドライナッツ、スパイス、氷砂糖、茹でた後焼いた卵、プジャセット・・・てんこ盛り積んだバスで出かける。
お天気もいいし、ピクニックみたい。
ところが、新郎のジバン君は行かないらしい。今日は結婚を決めに行く婚約なので二人が会うのは結婚式当日らしい。
いつも同じ道しか通っていない(通学のため)私は違う風景が珍しくて車外に釘付け。
かなり走った後、今にもぽろぽろ崩れそうな煉瓦づくりの家の並ぶ田舎町に到着した。
私はもうすっかり慣れて、ネパール人の友達と一緒に色んな所に連れていってもらってるけど、こんな所、一人じゃ絶対に来ないだろう。
ホームステイも、私はとっても運が良いけど、日本じゃ「ウルルン滞在記」(最後に私は泣くのかしら?)みたいなものなんだろうな。
近所の注目を集めながら(荷物のゴーカさと乗り付けたバスと、見慣れない日本人然り)新婦の家に荷物を運びいれ、トレイに盛って準備を進める。
花嫁はどこにいるんだろう?
屋上にお祝いの品々を並べると、色とりどりでとっても可愛くて、目出度かった。
写真をとりまくる。
今度、絵のモチーフで使おう。田舎で畑が多いだけにあっという間にハエが集まる。
魚なんてヤバイ状態に・・・。
遅れて花嫁登場。20歳の大学生だという美人さん。
来る道すがら聞いた話だと、違うコを紹介しようとしていたけど、あまりキレイではないので、後日ジバン君に写真だけ見せたら、「畑で働く分にはいいけど、僕のビジネスの為にはちょっと・・・」。
アレンジマリッジとはいえ、どこの国も女は美しい方が良いんだな・・・。耳がイタイ。
赤に金の糸がふんだんに使われたお祝い用のサリーを来ていてとってもキレイ。
一つ難を言えば、私がお化粧をしてあげた方が花嫁をもっと美しくしてあげる事が出来そう。
恥ずかしがってうつむく花嫁、初々しい〜。
暇な隣近所が屋上から見守るなか、プジャ開始。
私はここでもカメラマン。
プジャは結構手順が難しそう。
ネパール人は誰に教わるんだろう。誰が考えて始めたものなんだろう?
新郎の母から新婦へ祝福のティカ(眉間に付ける赤い粉)を付ける。なんと生きた小魚の尾をむしって、ティカにしていた。
花嫁の切り分けたケーキをみんなで食べて(子供、がっつがつ)プジャ終了。
ジバン君はローカルガイドからスタートして今では、英語、イタリア語、日本語ぺらぺらの成功者。
お金持ちなので先方の家はお祝いの品々の豪華さに目を剥いていた。
なごやかに見守る私たちは、お祝いのおすそ分けのご馳走に与かった。
今日はとっても天気がいいので、屋上での食事はとっても気持ちが良かった。(春なのに空が高くて秋みたい)
本当の結婚式は3月10日。私はその日までにサリーかクルタスルワールを作るように言われた。ネパールの正装。カワイイのを作ろう。
今日、びっくりしたのはジバン君と花嫁が今までに二回しか会った事がないという事。
ネパールは離婚が出来ないので(女性は大体生活能力がないので、未亡人は忌み嫌われるらしい。だから男性は一生一人の女性を養い続けなければいけない)一度結婚すれば正に「死が二人を別つまで」。
結婚して子供でも出来れば、今は互いを理解してない二人にも「愛」とか「絆」が生まれるんだろうか?
昔の日本もアレンジマリッジが主流だったんだろうけど、今は一応自由恋愛が圧倒的に多い国。
でも、ネットをすれば「お見合い」、携帯でも「出会い系サイト」、「合コン」「テレクラ」。
忙しくてか、出会いが足りないらしい私たちの国。適齢期も遅くなってるし。
かくいう私も26歳、未婚。彼氏はいるけど、結婚の予定はナイ。
出来るかどうか、するかどうかも分からない。
ネパールと日本どっちは幸せなんだろう?と今日の私は考えてしまった。
知りもしない相手と条件と器量で結婚したら、私は相手を好きになるんだろうか?幸せになるのかなあ?
日本の皆様、どう思いますか?
来月は、豪華な結婚式のレポートが出来ますよ。お楽しみに。
2003年 2月19日(水曜日)
ネパール婚約の儀(プジャ)
私が間借りしている家のジバン君(友達、ネワール人)が結婚することになった。
婚約の儀式に行くべく学校を休む事にする。今日、皆で結婚式の準備をした。
ハッピーウエディングと書かれた小さい袋に、キャンディ、固いチーズ(保存食のようなものらしい、結構美味しい)、お菓子各種、クルミ、ネパールの梅干しみたいの、氷砂糖、噛みたばこ、ココナツ(ドライ)、ドライフルーツ、スパイス、ナッツなどを入れてお楽しみ袋のような物を手作業で作る。
クリスマスパーティーとかお楽しみ会の前の用意みたいで楽しい。
単純作業が好きな私は張り切る。
私はてっきり明日の婚約で使うと思っていたら結婚式用だったらしい。
あと一ヶ月も先だけど・・・。
ご馳走(肉付き!)とお酒を振る舞われる。
終始、ジバン君のお父さんはご機嫌。
ネパールは民族、カースト、宗教の問題があって、親が結婚を決めるアレンジマリッジが主流。
つい先日、バレンタインディがあったけど、恋愛の自由の少ないネパール人にはあまり関係無かったらしい。
「バレンタインて今日だけど、知ってる?」と聞かれたけど、義理チョコなどの必要も無いらしい。
催促されてるのかと一瞬思ったけど。
2002年 12月2日(月曜日)
今日はロイヤルネパールでバンコクに飛ぶ日。
しかし、さすがネパール、トラブルです。ロイヤルネパール航空は飛行機を元々2機しか持ってないんですが、今、1機が故障中。
11月一杯の点検との事でしたが、そこはネパール、そうは問屋が卸しません。
後二日で今年のネパールビザが切れてしまうので(ネパールは年間最長5ヶ月間のツーリストビザが出ます。)タイに一ヶ月間行ってお休みをして、また来年戻る予定なのです。が・・・この間関空、ネパール間の直行便が9時間遅れたのは知っていたのですが、今日の朝8時35分に飛ぶはずだった飛行機(しつこいようですが、現在稼動しているのは1機のみ)が昼の1時30分になり、確認したら今日の夜中の1時30分という事が判明。
バンコクの深夜タクシーの女の子一人は危険と言われているので、今回初めての空港夜明かしを経験しそう・・・。しかも、1機で殺人的なスケジュールをこなしているらしい飛行機は掃除が間に合わず、歩けば埃が舞うほどの汚れ具合とか・・・。
(是非、写真を撮らなくっちゃ)そんな状態でメンテナンスなんかしてるのか?と疑問に思うのですが、今日の飛行機が落ちれば、この日記が私の最後の記録、そしてロイヤルネパール航空は今日から営業出来ません・・・。(皆さん私がバンコクでお粥をすすり、焼き鳥を串から引き抜きながら微笑めるようお祈りしてください)
最近のネパールは、友達の家にホームステイしている私が見る限り、平和なんですが、新聞を見れば物騒な様。マオイストもバンダ(テロ組織が暴力的に行うストライキ)をしてみたり、爆弾テロで人が沢山死んでパシュパティナート(火葬場のあるヒンドゥー寺院、ネパール人はここで焼かれ聖なるバグマティ川に流されることを望んでいる人が多い。前の王様もここで焼かれました。輪廻転生の考え方なのでお墓は信仰の違いである事はあるらしいけど少数だそう。ちなみにブッディストはここでは焼かれません。)で火葬場の火が朝、夜を通して三日間絶えることが無かったとか。
来年、家のお父さんが私の様子を見るのと観光とでネパールを訪れるのですが、私にすると治安の悪さが分からない。
皆ネパール人も普通に暮らしているし、ストライキの日はお店やってるご主人方とピクニックに行ったり呑気なものです。「大丈夫だよー」なんて言っているけど、まずロイヤルネパールの飛行機の方が問題ですね。
プライバシーが無いというネパールの文化。
人間関係も日々濃くなっていく一方(私の意志とは無関係に)、日本では考えられない様々な事が起きてきます。
私は日中学校にいるのであんまり干渉されないのですが、日本とは違うなーと思う事が多いです。
昨日も友達のおばちゃんが朝六時に私をたたき起こして寒い中二時間、髪がぼさぼさの私を前に「日本に帰っても忘れないで・・・」と大泣き。
あのう・・・私一ヶ月タイに行くだけなんですが・・・。
ネパール語とわずかな英語のおばちゃんに、「今年のビザが切れるから、タイに行くかオーバーステイでポリスに捕まるかどっちかしかないのよ。私はポリスが嫌いだし、来年もネパールに帰ってくるのよー」とジェスチャーで説明。ふー、頼むよー。風邪ひいちゃうよ。気持ちは嬉しいのだが。
ノックもせずにいきなり部屋に入って来ることも多く、かなり心臓に悪い。
私は来年までホームステイしていられるかな?そして大泣きしたおばちゃんとの本当の帰国の別れが今から恐ろしい・・・。
そして、立ちふさがるネパールの国民食「ダルバート」。
ネパール人のお家にホームステイしているのだからもちろん朝晩有無を言わさず「ダルバート」。豆のスープ、野菜のスパイス煮、てんこ盛りご飯、たまにネパール漬物がつく。
私には特別に卵焼きが付くのだが、やっぱり飽きる。
「なんで皆飽きないんだろう?」と思うくらい。
あまりにもベジタリアン生活にどっぷりなため、病み上がりの私にある欲望がむくむくと頭をもたげた。・・・「肉!肉が食べたい!」。
学校帰りのすきっ腹の私はゾンビの様にインドレストランに入って、ローストチキンをばくばく平らげました。
そしてダルバートは塩辛いおかずでご飯をたらふく詰め込む方式なので一ヶ月のダルバート生活の後、ふいにぼりぼりと掻いた私の背中はすっかり肉が無くなっていました・・・。
タイに着いたら、あれも食べて、これも食べて、肉!肉!肉!日本では野菜が好きだった筈なのですが、それでも肉を食べてますよね。
肉がない生活がこんなにつらいとは・・・。だから是非とも、肉に飢えた私はタイで思う存分食べなければ浮かばれない。飛行機が落ちるならタイから戻る便にして欲しい!(誤解を招かないように書いておきますが、タメルなどのツーリスト用のレストランでは何でも、肉でもケーキでもパスタでも日本食でも、なんでも食べられます。庶民の家庭は質素なのです。)
今回はタンカの勉強の事は綴っていませんが、順調です。一枚仕上げて(下書きから、金のペイントからすべて自分自身でやった作品です。)タイでも勉強できるように、本と定規はもちろん持ってます。
私の時間はタンカの点一つ、線一本に集約されています。早く日本でお見せしたいなあ。
2002年 10月12日(土曜日)
タンカ(仏教美術、日本での呼び名は曼荼羅。ピースフルな素晴らしいアートです。)の勉強をしにネパールに来て早3ヶ月強。ネパールのカトマンドゥ盆地の三大古都(パタン、カトマンドゥ、バクタプール)の一つバクタプールに住んでいます。
ネパールは日本語を話せる人が多く、すっかりバクタプールの人たちと人間関係も出来上がって、狭く、しがらみつつも楽しい毎日。
ここは、そう、昔の日本。ミニスカートなんて穿いちゃいけない。女の子は煙草なんて吸っちゃいけない。夜、8時以降は出歩いてはいけない。居酒屋には女の子一人で行ってはいけない。夜10時には、夜中の三時くらいの雰囲気。皆寝静まってます。
この街には未だ、夜の神秘性が残されている所です。ちょっと煩わしいけれど、美しくて一番ネパールらしいこの街が私は大好きです。
世界遺産の中に住めるなんて夢のよう。映画のリトルブッダの舞台にもなったので、知っている人もいるかもしれませぬ。
今は陰暦のお正月?ダサインです。収穫祭の意味も持つらしいこのお祭りは生け贄を捧げてご馳走を食べるらしい。最近沢山見るヤギ、羊、鶏、あひる達は、ダサイン後にはかなりの数が減っているはず。ああ、恐ろしい。血なまぐさい・・・。
タンカは、ネパールでも有名なラマの先生につけているので順調です。
先生のアトリエは風が通るとても気持ちのよい所で、いつも静謐な気持ちで筆を動かしています。
プロフェッショナルコースで教わっているので、帰る頃には少し、上手になっている事でしょう。
これを読んでくれている人たちにも展覧会を見に来て欲しいですね。
だーれも知り合いがいない状態でここに来て、こんな素晴らしい先生に出会って習えている(初めは忙しいからフルタイムは無理と言われていたのですが、友達のネパール人の協力でフルタイム貰えて、今は弟子入り状態です。)
私は本当にラッキー。自分の運の強さを感謝しつつの毎日です。トラブルも良い事もいっぱいあるので、これから、何かある度に、紹介して行きましょう。
因みに、ネパールの治安ですが、マオイニストは田舎の方で問題になっています。
大きいシティの方は平気だけれど(バクタプールでも二度程、爆弾テロ未遂がありました)、新しい王様が政治家を一気に首にしたり、かなり不安定な状況。
私も危なくなれば帰るけど、ネパールの人たちも普通に生活を営んでいるので、夜出歩かないとか、村の方へ行かないとか気を付けていれば平気なよう。
ニュースなどで見るとかなりショッキングだけれど。ツーリスト用のレストランとか、ホテル、ゲストハウスはかなりの打撃をうけているよう。ツーリスト減ってますねえ。でも、シティでテロに遭ったら相当運が悪いと思うしかないでしょう。だって、ツーリストは対象外なんだもん。(ネパール人によるネパール人に対する嫌がらせ。)
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